Grunewald

犬と暮らす

ドイツの【犬の法律】が本気だった件

ベルリンには、Grunewald(グルーネヴァルト)という広大な森がある。総面積はおよそ3000ヘクタール。東京ドーム約642個分に相当する広さだ。

この森には複数の湖があり、そのうちのひとつ - Grunewaldsee(グルーネヴァルドゼー)周辺は、犬のリードを外して散歩させることが許されている。

湖には「ドッグビーチ」もあり、我が家の愛犬リアもしょっちゅう泳いでいる。

この森には犬だけでなく、子どもや老人、家族連れ、さらには乗馬を楽しむ人までもが集まる。

もちろんトラブルも起きる。犬同士が喧嘩をして怪我をしたり、馬のフンを食べて体調を崩す犬もいる。人間同士が言い合いになる場面も珍しくない。(犬同士よりうるさい)

ある日、三本足の小型犬を連れていた飼い主に「事故ですか?」と尋ねたところ、「この森で大型犬に噛まれて足を失ったんです」と言われた。

驚いたのは、それでもその犬と飼い主は森に通い続けていることだった。誰も「危ないから来るな」とは言わない。飼い主も「もうやめよう」とは考えていないようだった。

日本だったらどうだろうか。ノーリードは禁止され、馬のフンにクレームが入り、乗馬自体が禁止になるかもしれない。

ここでは「トラブルが起きたから排除」ではなく、「どうすれば共に存在できるか」を考える姿勢が根づいている。

この経験を通して、私は日本とドイツの犬に対する価値観の違いを強く意識するようになった。そしてその違いは、単なるペットの扱いを超えて、社会全体のあり方にも通じているように感じている。


第1章 : ドイツの法律と【犬の権利】

日本で主流のケージ飼育とその背景

リアを飼い始めたころ、散歩中に出会ったドイツ人からこう言われたことがある。

「日本ではケージ飼育が主流なんでしょ?」

その口調は、あまり快く思っていないように聞こえた。

そのとき、私はこう答えた。「犬は自分のスペースを確保することで安心するらしいし、日本は地震が多いから、いざというときのために訓練しておく必要があるんだよ」と。

日本では共働き家庭も多く、長時間家を空ける家庭も珍しくない。そのため、ケージで犬を過ごさせることは、犬の安全を守る手段として自然に受け入れられている。

また、集合住宅が多く、近隣への騒音や臭いに対して過敏にならざるを得ない環境もある。「他人に迷惑をかけないこと」が第一優先の社会では、犬に対しても「静かに、動かずに」を求める傾向が強くなる。

だが、それは果たして「犬のため」なのか。それとも「人間社会の都合」に過ぎないのか。

あれから何年間もドイツの犬たちを見ていて、ふと疑問に思うようになったのである。


日本とドイツの違い「留守番中の犬の扱い方」

実はドイツでも、共働き家庭は一般的であり、日中に家を空けるのは決して珍しくない。それでも「犬をケージに入れて長時間留守番させる」という発想は、あまり一般的とはいえない。

むしろ、犬が家の中を自由に移動できる環境を整えるのが基本だ。ケージ内にトイレを置き、そのすぐ隣で何時間も過ごさせるという飼育スタイルは、少なくともドイツではほとんど見られない。

日本の場合🇯🇵

  • 長時間の留守中は、犬をケージやサークルに入れておくのが一般的。
  • 「事故防止」「トイレのしつけ」「近隣への騒音対策」など、人間の生活との摩擦を避ける目的が強い。
  • ケージの中にトイレを設置して、限られたスペースで生活させるケースも多い。

ドイツの場合🇩🇪

  • 留守番の時間は法的に4時間以内が原則(ベルリン州条例など)。
  • 犬を自由に部屋の中で過ごさせるのが基本。ケージに長時間閉じ込めると、動物虐待として通報される場合も。
  • 犬が退屈しないように、犬用ベビーシッタードッグデイケアを利用する家庭も多い。

つまり、ドイツでは「不在でも犬の心と体が健康でいられるようにどう工夫するか」に意識が向いている。犬の感情や生活の質(Lebensqualität)を尊重する文化が、日常の選択にも表れているのだ。


ドイツの犬の法律から見たケージ飼育

ドイツでは、犬は「感情を持つ存在」として法律で守られており、その根幹をなすのが「動物保護法(Tierschutzgesetz)」であり、犬の習性と感情に配慮した飼育が求められている。

犬は「群れで暮らす動物」であることを前提に、人間または他の犬との定期的な接触を保証しなければならない。孤立させたり、長時間閉じ込めたりすることは、動物福祉に反する行為とされる。

また、「ベルリン犬法(Hundegesetz)」では以下のように具体的な飼育基準が定められている。

  • 犬が日常的に過ごすスペースは最低6平方メートル(約3.5畳)以上
  • 散歩は1日2回以上が義務
  • 一匹で留守番させてよい時間は最大4時間まで
  • 犬を24時間以上屋内に閉じ込めることは禁止
  • 違反した場合、最大5万ユーロ(約850万円)の罰金が科される可能性も

これらの規定は単なるマナーではなく、「犬が犬らしくあることを保障するための法的枠組み」である。

ベルリン犬法 第1条

この法律の目的は、ベルリン州における犬の飼育と取り扱いを公共の安全のために規制し、危険を予防・排除するとともに、大都市特有の条件のもとで人と犬が調和して共存できるようにすることである。

つまり、この法律は「人間だけの快適さ」だけではなく、「犬の生活の質も社会全体で守る」という考え方である。

そのため、ドイツの家庭にはケージが置かれていないことも多く、犬は家の中を自由に過ごす。排泄も外で行うのが一般的だ。

また、仕事などで日中に家を空ける場合は、ドッグシッターやドッグデイケアを利用する家庭が多い。


第2章 :災害時でも自由を保障されるドイツの犬

ドイツでは災害時においても、犬を含むペットは「家族の一員」として扱われる。

避難所の多くでは、犬と一緒に避難できるスペースやケア体制が整備されており、原則としてペットの受け入れを拒否することはない

たとえば2021年に発生した大規模洪水の際、ノルトライン=ヴェストファーレン州では、多くの避難施設が犬連れの住民を受け入れた。民間団体や獣医師会が支援チームを結成し、必要な医療や食料の支援を提供した。

こうした非常時であっても動物の命を軽視しない姿勢は、単なる動物愛護から来るものではない。その背景には、命に優劣をつけないという倫理的価値観がある。

これは、ナチス政権下における「命の選別思想(優生学・排除)」への深い反省から生まれた社会的基盤である。

現代ドイツでは「すべての命に等しい価値がある」という合意が、倫理としてだけでなく法制度にも反映されている


背景1:憲法が動物の尊厳を守っている国

実は、ドイツは、世界で初めて「動物保護」が憲法に盛り込まれた国である。2002年にドイツ基本法第20a条が改正され、次のように記された。

「国家は、…また動物の生命と尊厳を保護する責務を負う。」(Grundgesetz Art. 20a)

ここで注目すべきは、「尊厳」という言葉で動物が語られている点だ。これは単なる感情論や動物愛護のレベルを超え、法的に動物を“守るべき存在”として位置づけていることを意味する。

この価値観は、避難指針や行政判断にも反映されている。


背景2:動物は「所有物」ではない

ドイツ民法(Bürgerliches Gesetzbuch)第90a条には、こう書かれている。

「動物は物ではない。特別な法律により保護される存在である。」(BGB § 90a)

つまり、犬や猫は家具や家電のような “所有物” ではない。独立した命として尊重されているのだ。

だからこそ、「避難に連れて行くかどうか」は「モノを持っていくかどうか」とは別次元の判断となる。


背景3:避難所にも「共に避難」が当たり前

ドイツの避難指針(BBK=連邦防災庁)では、ペットと一緒に避難することが当然の前提とされている。物資や寝床だけでなく、犬や猫と過ごせるエリアそのものが、事前に設計されている

つまり、「連れてきてもいい」ではなく、「一緒に来るのが当たり前」という設計思想だ。

では、犬アレルギーの人や犬が苦手な人はどうするのか。この点にも配慮がなされており、ペット連れとそうでない人のスペースを分ける仕組みが導入されている。

こうして、誰かが排除されることなく、安心して共にいられる空間がつくられている。

非常時の避難という切迫した状況でさえも、「人と犬が共にいること」が前提とされている。それは、偶然の優しさではなく、憲法・民法・行政制度に裏打ちされた“共生の哲学”なのだ。

つまり、犬に対する社会の接し方は、そのまま社会がどのように「異なる存在」と付き合おうとしているかの縮図でもあるのだ。


第3章 :犬と子どもを通して見えてくる国民性

「クレーム→排除」になる日本社会

ドイツの法律と価値観を見ていると、犬への接し方が人間社会の設計そのものに通じていることがわかる。

日本では、犬が人間の邪魔をすることはタブーである。そして、それは子どもにも共通する。

近隣住民、特に高齢者からのクレームにより、公園でのボール遊びが禁止されたり、保育園や幼稚園の行事が制限されるといった事例は珍しくない。

問題が起こるたびに「クレーム→排除」という流れが繰り返される。クレームの声が優先され、「うるさい存在」は場から締め出されていく。そして社会は、静かで整った分、息苦しく、不寛容になっていく。


なぜドイツでは赤ちゃんや子供の声に文句を言わないのか?

混んでいる電車で子供が泣くと、日本では舌打ちされることがあった。

ドイツだと、「赤ちゃんなんだから当然」と受け止めてもらえる。近くに立っていた小学生があやしてくれたこともあった。

2011年、ドイツでは連邦排出管理法(BImSchG)が改正された。そこには、次のように明記されている。

「子どもの声は生活に必要な音であり、騒音とは見なされない」

この法改正により、幼稚園や学校の音を理由とした訴訟はほぼ認められなくなった。「子どもの声や活動は、社会が受け入れるべきものだ」という考え方が、法律にも反映されたのだ。

「犬や子どもがうるさい」「迷惑だ」と苦情を言う人も、もちろんゼロではない。しかし、そうした声はドイツ社会の中ではごく少数の意見として扱われる。

つまり、「みんながそう思っている」ではなく、「一部の人が大人げなく神経質になっている」と見なされる。周囲から冷ややかに見られることも少なくない。

では、もし子どもが本当に度を越して騒いでいた場合、ドイツの大人たちはどう対応するのだろうか?

この場合、「親に目で合図を送る」など穏やかな非言語的な対応が多い。たとえ注意する場合でも、声を荒げるのではなく、「ちょっと落ち着こうか」といった、人格を否定しない言い方が選ばれる。また、親自身が子どもの様子を察し、自発的に注意したり、その場を離れることも多い。

重要なのは、「子どもが騒ぐこと」自体が問題ではなく、共にその場をどう使うかという視点に立っていることだ。

だからこそ、誰かが不快を感じたからといって、すぐに「禁止」「排除」という判断には至らない。


なぜドイツではベビーカーに文句を言わないのか?

日本では混んでいる電車にベビーカーで乗り込むと、「こんな時間にベビーカーで電車に乗ることが非常識」だと言われる。

ドイツでは、混雑した電車やバスにベビーカーが乗ってきても、文句を言う人はまずいない。それは「思いやり」の問題ではなく、社会全体の設計と価値観の違いによるものだ。

たまに、日本のラッシュ時の混雑具合は度を越しているから仕方ないと主張する人がいるが、日本社会の子供に向ける厳しい目はそこが原因ではない。

まず注目すべきは、ドイツ基本法(憲法)第11条の内容だ。

「すべてのドイツ国民は、国内での移動と居住の自由を持つ」

つまり、どんな年齢や身体的状況であっても、自由に移動できる権利が保障されている。この「移動の自由」を現実のものとするために、社会や交通インフラが工夫されている。

さらに制度面でも明確なルールがある。たとえば、ドイツ鉄道(Deutsche Bahn)やベルリン交通局(BVG)では以下のように定められている。

  • ベビーカー・車椅子の利用者は優先的に乗車できる
  • 運転手は必要に応じて、健常者に下車を求める権限がある
  • 混雑時でも、優先スペースは空けておくことが推奨されている

したがって、「混んでるんだから遠慮して」と言うよりも、「あなたがここにいて当然」という姿勢が制度と文化の両面から支えられているのだ。

この背後にあるのは、ドイツが大切にしている共生の思想であり、「誰もが社会の一部である」「誰もが居場所を持ってよい」という、人権に基づいた強い倫理的土台である。


ドイツ育ちの息子に聞いてみた

息子
息子
え、子供や赤ちゃんが泣くのって仕方ないよね?そりゃ、うるさいなとは思うけど、どうしようもないもの。それに文句を言う人の気がしれない。

混んでいる電車にベビーカーが乗ってきたら?別になんとも思わない。もし乗れないくらい人が乗ってたら、自分が降りてスペースを開けてあげるかな。

え、日本は文句を言われるの?なんで?自分だって混んでいる電車に乗っているのにね。そんなことを言う人がいるって全く想像できない。

公園でボール遊びをしている子供達にクレームが来るらしいよ。幼稚園にもうるさいって文句言う人がいるんだって。
jucom
jucom
息子
息子
じゃあ子供達はどこで遊べばいいの?もしも何かいけないことをしたら、その時は大人が教えてあげれば良いじゃないか。その環境に不満があるなら引っ越せばいいのに。
全くもって同感だわ。
jucom
jucom

【最後に】寛容な社会がもたらすもの

私は日本で育ってきた。だから今でも、ドイツ・ベルリンの自由すぎる人たちを見ていると、今でも「クレーム→排除」の思考グセに囚われることがある。(だって皆勝手なんだもの!)しかし、自分にとって不快な環境を許さず、排除を要求すると言うことは、それは巡り巡って、自分自身の暮らしに息苦しさを招くことになるのかもしれない。

ドイツに住んで14年。決してドイツが理想郷だとは思っていない。犬や赤ちゃんには優しくても、人種や国籍に対しては、彼らの不寛容な態度にうんざりすることが多々あるからだ。

それでもやっぱり、日本にはない寛容さに、心を打たれる瞬間がある。

ベルリンのGrunewaldの森で、ふと思う。森を自由に走り回り、湖で泳ぎ、電車やバスに乗ってどこまでも一緒に出かけ、カフェで飼い主の足元でくつろぐ。もし自分が犬だったら、ここで暮らせたら幸せだろうな、と。

多少のトラブルがあっても、ルールで縛らず、どちらかの意見に偏らず、互いに気遣い、少しずつ許し合うことができたら。犬だけでなく人間の生活も余裕が生まれてくるかもしれない。

きっと、それは生きやすい社会のかたちなのだと思う。

ドイツの犬はなぜ吠えない?
ドイツの犬はなぜ吠えない?福田直子 (著)
ドイツの犬事情のリアルをまとめた本。在独の人が読むと、心当たりがあってニヤッとしてしまうシーンが多々あるかも。(ドッグトレーニングの本ではありません)

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