少し前に義父が亡くなりました。もっと前に義母が亡くなっているので、夫の両親がこの世からいなくなってしまったことになります。優しい夫が私の前で気丈にしている姿を見ながら、色々と考えたことを綴ってみようと思います。
私は22歳から夫とお付き合いを始め、ほぼ遠距離恋愛の末、28歳で結婚しました。夫は付き合い始めた時から本当に優しい人でしたが、結婚を機に夫の家族に会い、その理由がよく分かりました。
夫は五人家族で、上下に姉妹がいる三人兄弟の真ん中。こんなに仲の良い家族があるのかと驚いたのを覚えています。
親が子供を(いじりつつも)褒め、両親が互いを(いじりつつも)褒め合う光景が、私には眩しく見えました。
私の実家も特別仲が悪いわけではありませんが、もっとあっさりしています。マメに連絡を取るわけでもなく、誕生日のお祝いのやりとりもまちまちです。でも、そのくらいがちょうど良いと感じて育ってきました。(両親の仲は良いとは言えません。)
だから、夫の家族と交流が始まったとき、その距離の近さに戸惑いもありました。慣れていなかったからです。
それでも、とても優しく迎え入れてもらいました。嫁としてのつとめも大して出来ていない私のことを、実の子のように可愛がってくれました。お陰様で私はぬくぬく安心して甘えて過ごすことができました。
そんな優しい夫の家族から遠く離れたドイツに住んで13年。その間に、まず義母が病気で亡くなり、そして義父も亡くなり。
あの優しい家族から、両親がいなくなってしまった。私も悲しいですが、残された夫と義姉、義妹のことを思うと、その悲しみがさらに募ります。
義母は、私の独特なポリシーを持った子育てを心から応援してくれました。亡くなる前に会いに行った際、「あなたが決断して選んだ道はいつも正しい。誰がなんと言おうと、自分を信じて進みなさい。周りの声は気にしなくていい。」と励ましてくれました。その頃、私は自分の両親から子育てへの理解を得られていませんでした。だから尚更義母の言葉が心に響き、ボロボロ泣いてしまったのを覚えています。
「あなたは、一番に子供のことを考えて行動しているのがよく分かる。私はそんなあなただから信じているの。」とも言ってくれました。
今でもこの義母の言葉は私の支えになっています。
義父も、結婚当初から「Jucomさん、Jucomさん」と私を呼び、親しみを持って接してくれました。年末に帰ると「飲み仲間が帰ってきた」と喜んでくれ、一緒に晩酌しながらおしゃべりしました。
その後、施設に入った義父とドイツからビデオ通話をしたとき、「お義父さん、吉永小百合です〜」と冗談を言ったら、「吉永小百合さんもめっきり老けたなあ」と返してきて、皆で爆笑したのも良い思い出です。
義姉と義妹は、私の実の兄妹以上によくしてくれ、彼らの優しさと大きな愛情にいつも感動しています。自分がこんなに恵まれた嫁だったとは。今更ながら気づきました。奇跡ですよね、これ。
だからこそ考えてしまうのです。果たして私は、義両親に恩返しができたのでしょうか。
もっともっとマメに連絡をすればよかった。もっと写真を送ればよかった。もっと言葉で感謝の気持ちを何度も伝えたかった。あんなに優しい人たちに出逢えただけでなく、家族になれたことは奇跡なのに。自分のことに必死で有り難みを理解しきれていなかった。甘えてばかりでごめんなさい。
天国で再会を喜び合っているであろう義両親に伝えたいです。
息子さんと孫たちのことは任せてください。絶対に幸せにしますから!もちろん、義姉と義妹のことも大切にします。ドンとこい!
結婚はしないだろう、子供も作らないだろうと思って生きていた私に、新しい人生をプレゼントしてくれた人たち。
心からじゃ足りないくらい、全身全霊で感謝しています。
自分もそう言ってもらえる人間になれるよう、心を磨いていきます。
この記事を書くことができてよかったです。
※おまけ
結婚しないだろうと思っていた暗黒期から抜け出すまでのストーリーはこちらから↓