2023年11月上旬、2週間の秋休みが終わり、やっと子供が学校へ行ってくれる!とベルリン中のママたちがガッツポーズをしていた(であろう)朝。息子から衝撃的な報告を受けた。
「同じクラスのMが自殺したらしい」
最初、何を言っているのかわからなかった。え、MってあのM?コンピューターが得意で、自分でサーバー作って売って10代前半から毎月収入を得ていて、映画同好会を作ってクラスメイト全員が入って彼の指揮のもとにショートムービーを撮っていた、あのMが?自殺??
とても信じがたい…と言いたいところだったが、実は少しだけ思い当たる節があった。きっと息子も同じ考えが頭にあったのではないだろうか。そんな顔をしていたように思う。
2020年のあたり、世界中がコロナウイルスに翻弄されていた頃。そう、会社や学校が何度かロックダウンになり、夫婦関係・親子関係が脅かされたあの頃のこと。
ロックダウンが終わっても、Mは学校に来なかった。学校の先生は理由を言わなかったけど、入院をしているということは伝えられていた。数ヶ月してMが自分からクラスメイトたちとコンタクトを取り、ビデオ通話をしたそうだ。その時、クラスメイトは彼の変わり果てた姿にそれはそれはショックを受けたらしい。
Mはどちらかというとぽっちゃりしている可愛い男の子だった。だが、数ヶ月ぶりにモニター越しに見る彼はげっそり痩せて、別人のようになっていた。摂食障害になって入院しているのだと本人が言い、クラスメイトは口々に励ましの言葉や早く学校においでと声をかけたそうだ。
それからしばらく彼は入退院を繰り返しながら、学校へ来られる時は来て、少しずつ良くなっているように見えた。
そしてコロナもすっかり過去のこととなりつつあった2023年秋、秋休み初日に彼は命を絶った。
彼のYouTubeチャンネルには、自分が死んだ後に最後の動画がアップされるように設定してあったらしい。内容は伏せるが、誰かへ向けた深い恨みと諦めの感情を包み隠さず出している彼の姿に、こんなに大きなものを抱えていたのかとクラスメイトは誰もがショックを受けていた。
このことは秋休み明けにクラスメイトに知れ渡り、その直後に学校から一斉メールで彼の自殺を告げられた。
学校側はすぐに地域のサポートセンターから人を呼び危機対策チームを作った。子どもからの質問には丁寧に答えてほしい、子供の気持ちに寄り添ってよく観察していて欲しい、第三者のサポートが必要ならいつでも声をかけてほしいと校長からのメールには書いてあった。
息子曰く、クラスメイトは皆、彼の自殺の原因を分かっていると。私も今までの息子から聞いていたMの様子と、6年間同じクラスだったからこそ親目線で感じていたことを総合して、息子と同じ意見だった。おそらく学校が原因ではない。
残された側はいつもいつも後悔してしまう。うっすら気づいていたのに何もしなかったことを悔やんでしまう。結局救うことなんてできなかったかもしれないし、「何かできたのではないか」と思うこと自体が傲慢なのかもしれないけど。
私が17歳の時、仲の良かった同級生の男の子が事故死した。
友人と共に自宅で行われたお通夜へ参列したとき、玄関に5、6冊積んであった漫画を見て友人が泣き崩れた。その漫画は、1週間ほど前に彼から借りる約束をしていたものだったそうだ。
もしかしたら今日明日あたり友人はその漫画を本人から受け取っていたのかもしれない。でももうそんなことは一生起こり得ないのだ。人が死ぬということは、その人の時間だけ突然絶たれるということなんだな。私たちの時間は流れ続けているのに。そのマンガをぼんやり見ながら思った。
棺は閉められていたけど、私たちはご両親に「顔が見たい」と頼んでみた。ご両親は「もう、誰かわからなくなっちゃっているけど」と顔のところを開けてくれた。
彼の顔は、ぐるぐるに巻かれた包帯の上からでも鼻の位置がずれ、顔の形が歪んでいるのがわかった。
この包帯をする前の彼の顔を、我が子を確認するためにこの人たちは見たのだろうか。そんな辛いことがあるだろうか。どんな気持ちでご両親は私たちに顔を見せてくれたのか。彼は痛かっただろうか。せめて痛みを感じずに意識を失っていて欲しい。
17歳だった私はそんなことを考えながら、勝手に出てきて止まる様子のない涙を拭っていたのを覚えている。
あれから私はダメンズホイホイの名を轟かせながらも、奇跡的に誠実な人と出会って子供を産み、その子がもうすぐ彼と同じ17歳になろうとしている。
自殺、事故死、病死、死の理由はさまざまだけど、「死」というのはそこで時が終わること。命がある私たちには時がある。(もしかしたら違う時間軸に切り替わるだけなのかもしれないけど、その辺のことはよくわからない)
だからもう、私たちは思いっきり生きるしかないじゃないか。楽しいことを思いっきり楽しんで、悲しいときは思いきり悲しんで、成長して、やりたいことをやって、人を大事にして、でも自分も大事にして。
私は今年で50歳になるのに、17歳の時と同じことしか今も考えられないけど。流れている時間を当たり前だと思わず感謝して。私たちはせめて自分を大事にして生きていくしかない。
最近、有名な某漫画家さんが自ら命を断った。私はお会いしたことすらなく、ただ彼女の作品を何度も何度も読んだだけの一読者なのだが、Xで一連のつぶやきを拝見していただけに、それはそれはショックだった。
第三者どころか赤の他人である私が憶測で勝手なことを言うのはやめておく。
ただ、命を経つほどの環境に置かれていたのだから、せめて死後の世界は彼らにとって優しい世界であって欲しいと願う。
自殺だけでなく、事故死でも病死でも。たくさん美味しいものがあって、綺麗なものを愛でて、ポカポカ暖かくて、大事にされて、安心できる場所であってほしい。(小学生並みの発想しかない自分が不甲斐ない)
生きていると思いもよらない問題が起きたりして、しんどいな…と感じる時も多々あるけども。
不器用ながらも、とりあえず自分や周りの人をハグして、たまに彼らのことを思い出しながら、今日も生きる方を選んで私はしぶとく生きている。