ポツダムにあるサンスーシ宮殿を訪れましたら私、思いがけずフリードリヒ大王に興味を惹かれてしまって。
だって、彼、絶対にあれじゃん。父親との確執により拗らせ系、ビジネス上の外交はパーフェクト、なのにプライベートはコミュ障でひとりぼっち。かなり拗らせ王だったわけで、そのギャップを知れば知るほど、
ダメンズホイホイの血が騒ぐ!
(私だったら彼を救えるのでは無いかという思考はダメンズホイホイの代表的な特徴)
サンスーシ宮殿の名前の由来は、フランス語の「sans souci」で、「憂いの無い」という意味なんですって。
やだ、フリードリヒったら相当憂いてたとしか。
実際、彼が戦争や政治の喧騒から離れ、心の安らぎを得るためにこの宮殿を建てたそうで。
名前の付け方が、もう心の闇がダダ漏れですね。本気で憂い無き場所にしようと思ったら、もっと明るい名前をつけますから。
と、薄い知識に勝手な解釈を乗せ、非常に楽しい時間を過ごしました。
日本語音声ガイドの内容も構成も質が高かったのでね。聴きながらまるで映画の世界に入り込んだかのような気分に。
そんなわけで、ユーコムお気に入りとなったフリードリヒ二世。
史実に私の一方的な解釈を乗せ、彼の生涯をザッと語ってみたのでよろしければどうぞ。
私が買ったチケットは、KOMBITICKET(22ユーロ)です。日本語音声ガイドは必須!
フリードリヒ王子の若き日々
昔々、ドイツのプロイセンという国にフリードリヒという王子がいました。彼は若い頃から音楽や哲学をとても愛していました。心の中ではいつも、平和や美しいものに憧れていたのです。
でも、彼のお父さん、フリードリヒ・ヴィルヘルム一世はとても厳しい体育会系の軍人でした。お父さんは「戦士こそが王にふさわしい」と信じていたので、息子にも同じ道を歩ませようとしました。フリードリヒも厳しい軍事訓練を受けました。
でも、フリードリヒは軍事よりも、芸術や文化が好きでした。彼はフルートを演奏したり、哲学書を読むことに喜びを感じていました。それなのに「音楽や詩なんて、王にとって必要ない」とお父さんは叱り、罰を与えました。フリードリヒは、心の中でとても苦しんでいたのです。
親友との別れ
ある日、フリードリヒは親友のカッテと逃亡計画を立てます。なぜなら彼は、お父さんから逃げ出し、自由に生きたいと思っていたからです。しかし、計画は失敗してしまいました。
お父さんはとても怒り、フリードリヒの大切な親友カッテを反逆罪として捕まえてしまいました。そして、フリードリヒは自分の目の前でカッテが処刑されるのを見なければならなかったのです。フリードリヒはこの出来事で心に深い傷を負いました。
さらにフリードリヒも、罰として捕まってしまいます。彼は遠くのキュストリン要塞に連れて行かれ、そこにひとりぼっちで閉じ込められてしまいました。
その場所では、誰とも話すことができず、毎日が孤独でつらい日々でした。王子としての地位も奪われ、兵士としての身分さえも剥奪されてしまいました。
毎日毎日、お父さんの厳しい言葉がフリードリヒの心に突き刺さります。少しずつ人間としての尊厳を奪われていきました。(精神的圧力や虐待を受けていたようです。)
お父さんが息子を強い戦士に育てようとすればするほど、フリードリヒの心は閉ざされていきました。
「何のために生きるのだろう?」
彼は、感情を内に秘め、他人と深く関わることを避けるようになったのです。
王としての道
やがて、フリードリヒのお父さんが亡くなり、彼はプロイセンの王となりました。彼は父から引き継いだ強力な軍隊と共に、いくつもの戦争に勝利しました。そして、プロイセンをお父さんの時代よりも強い国に導きました。
しかし、心のどこかでフリードリヒは、戦争をしたくないと思っていました。「戦争は人々を傷つけるだけだ」と密かに感じていたのです。でも、王として国を守るためには、戦わなければならないという現実もありました。この戦争が、フリードリヒ大王にとって「憂い」であり、憂いから離れた場所にサンスーシ宮殿を建設するきっかけとなったのです。
フリードリヒは、啓蒙主義の思想に基づき、国を改革しました。彼は、宗教の自由を認め、法制度を整え、文化の発展にも力を入れました。彼の心は、常に戦争と平和の間で揺れ動いていたのです。
啓蒙主義とは、18世紀にヨーロッパで広まった思想や考え方のこと。人々に「理性を使って物事を考えることが大事だ」という考えを広めました。啓蒙主義の思想家たちは、人間は自由であり、誰でも平等に権利を持ち、科学や知識を通じて社会をより良くできると信じていました。
フリードリヒ大王とサンスーシ宮殿
フリードリヒは、戦争や苦悩から逃れるために、音楽や芸術、そして犬たちに癒しを求めました。彼は自分でフルートを演奏し、詩を書き、哲学を学びました。
フリードリヒ大王が建てたサンスーシ宮殿は、彼の心の安らぎを求めた場所でした。宮殿にしてはコンパクトで静かな空間。フリードリヒは、ここで愛犬たちと共に過ごし、戦争から離れて穏やかな時間を楽しみました。
特に、彼は11匹もの犬たちを家族のように愛しました。
「死んだ後は、愛犬たちと一緒にサンスーシ宮殿の庭に埋められたい」
この願いは、彼の死後しばらくは実現しませんでしたが、1991年になって、彼と愛犬たちはようやく一緒に眠ることができました。
ちなみに、こんな記事も書いています。
フリードリヒ大王の孤独と成功
辛い時、孤独を感じる時。体調が悪化してベッドで寝られず、肘掛けソファで最期を迎える時。抱きしめて手を握ってくれる存在はいたのでしょうか。
でも本当に拗らせていると、そういう存在をも自ら遠ざけてしまうのですよね。
彼の一見社交的に見える外交政策。成し遂げた素晴らしい功績を知れば知るほど、孤独な人生が浮き彫りになります。
いずれにせよ、あの素晴らしく見晴らしの良い宮殿で、犬たちと心安らぐ時間は宝物だったことでしょう。フリードリヒ大王が歴代の王家の墓に入るのではなく、サンスーシ宮殿の庭に犬と埋葬されることを願ったのも納得です。
これまた勝手な推測ですよ?もしや、彼は満たされない心や葛藤を、好奇心や探究心を無意識ながら掻き立て、その結果優秀な指導者へとなっていったのでは。知らんけど。
戦争嫌いだったのに、戦争をせざるを得なかったフリードリヒ。持ち前の頭脳で何度もプロイセンに勝利をもたらしました。
彼の軍事思想や戦略は、18世紀のヨーロッパにおいて革新的でした。そしてその優れた手腕は外交や国内の行政改革にも発揮されています。
その内容が、ブラボーとしか言いようのないものなので、次回はそこに焦点を当てて書きたいと思います。(どんだけ好きやねん)
日本にもこんなリーダーがいたらいいのに!と心底思う内容なので、ぜひご覧ください。