愛知の実家は両親がとても厳しく、我の強かった私は10代の頃からずっと外へ出たくて仕方がなかった。13歳で1ヶ月間1人でカンザス州の田舎にホームステイした時も、一切ホームシックになることなく伸び伸びと大自然の生活を楽しんだ。19歳で関東の大学へ進学し、1人暮らしが決まってからも、結婚して親元を本格的に離れてからも、一切ホームシックなんてものには縁がなかった。なぜならいつもやりたいことを抱えて、夢や目標や新しい生活に夢中だったのでホームシックになる暇がなかったからである。
結婚して子供が生まれてからはそれに拍車がかかり、過去を振り返る暇もなく育児に仕事に励んできた。夫の仕事と私の希望が一致してドイツへ渡ってからは言葉と文化の壁を乗り越えるべくさらに奮闘し、気がついたら今はベルリン住まい。自分でもびっくりの目まぐるしい環境の変化。私、モネハウスみたいなところでのんびり絵を描いて暮らしてるはずだったのになぁ。
そんな私の心が最近揺さぶられつつある。それは菊池亜希子ちゃんが、彼女が編集長を務める雑誌 ”マッシュ vol.10” に、ベルリン滞在の様子や昔の思い出を載せてくれたことがきっかけ。
彼女と一番頻繁に会っていたのは息子が3歳前後で、ちょうど娘を妊娠・出産した頃である。彼女もマッシュに書いてくれた通り、手をつないで仲良く歩く息子とあっこちゃんの後ろから、私は大きなお腹を抱えて(出産後はスリングに娘を抱っこして)歩いていた。一緒にSASAWASHIショップへ行ったり、温泉へ行ったり、もちろん白楽を散歩して、TERA COFFEEや山角や白楽ベーグルやeimekuをハシゴして、いつもそこにはあっこちゃんと息子が手をつなぐ姿があった。
あっこちゃんだけでなく、例えば山角で美味しいパンを焼いていたもう一人のあっこちゃんや、テラさん、eimekuの小平さん、ミツコでいつも素敵な髪型にしてくれたリエコちゃん、ササワシの糸井さんや長谷井さんやカナコさんなど、子連れの私たち親子をいつも歓迎し温かく迎えてくださった方々の姿も一緒に私の心に浮かんでくる。
電話すると千葉からすっ飛んできて美味しいご飯を作ってくれたプリちゃんや、ずっと息子と電車ごっこをしてくれた美奈子ちゃん、子連れでもじゃんじゃん会って美味しいものを一緒に食べに行ってくれたボンちゃん、お互いに息子をスリングに放り込みながらどこへでも出かけた鈴ちゃん。お隣さんだった small color の良原リエさんは、引っ越し前にご飯を食べさせてくれたし、料理研究家の福田淳子ちゃんはお花見弁当を持って電車を乗り継いでうちまで来てくれて、次の日には私の鼓膜が破れて病院に同行させられた挙句、待合室でずっと泣き叫ぶ息子を抱っこさせられてたことも…
あっこちゃんと少し昔話をしただけで、走馬灯のようにこれらの情景がドバーーーーッと脳内に再生され、そのタイミングで先日eimekuの小平さんから久しぶりにメールをもらい、なんかもう、あの白楽時代にホームシック状態になってしまった。(決して実家ではない)
なぜあの時代なんだと考えてみると、そういえばあの時代が一番しんどかったんだよな、と。今もドイツでしんどい時があるけど、子供との付き合いも長くなってきたのでそこまででもないし、沈んでもすぐ浮かび上がれるようになった。
あの白楽時代に私は初めて「親」になった。2人目が生まれてからは夫の仕事もさらに忙しくなり、1日中子供としか会話していない日も少なくなかった。かまってもらえなくて我儘に拍車がかかった息子と新生児を抱え、ほんのちょっと鬱になり掛けた時もあった。(ほんのちょっとね)
でも、ギリギリのところで私が踏ん張れたのは、しんどい時にいつも家に遊びに来てくれ、時には連れ出してくれ、行った先々で私たちを受け入れてくれた人たちの存在があったからである。その人たちがいなかったら…。もしかしたら私はとっくに母親業を放棄していたかもしれない。きっとこれは同じような環境で子育てをした人にしか理解してもらえないと思う。
ドイツに来てからは特に思う。日本で子育てをする母親というのは、電車一つ乗るだけでもものすごいプレッシャーを抱えるのだ。周囲からの目線、ベビーカー論議、そこに母親を守ってくれる視線はほとんどない。非難する目線はたくさんあるのにね。
息子は育てやすい方だったと思うけど、それでも日々子供への責任と社会からの重圧の中でアップアップだった私は、友人にいつもいつも救い上げてもらっていた。だからこそ白楽時代は私にとって温かい人との関わりばかりで、あの場所、匂い、色を強烈に懐かしく思うのだ。
今ではそれぞれ環境も変わり、住むところも変わり、もし今私が白楽へ戻ったとしても同じ日々にはならないことを知っている。それがわかっているからこその郷愁であり、今は疎遠になってしまった人たちを含む大好きな人たちへの色あせない感謝の念が尽きないのだと思う。